LOST MEMORIES

by test_next33
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Kent Alexander 2022

「失われた記憶たち」

そのイベント名に即座にヒザを打った。日本で最長のクラブ・イベントREBOOTを主催するDJ Q’HEY(元々33の同僚だったため以降は “久平君”と呼ばせてもらいます)がクラシック・テクノ・セットでゲストDJとしてフューチャーされていたからだ。

2月26日土曜日の夜遅くから始まるこのイベント。場所は靖国通り沿いで新宿御苑寄りの少し繁華街から離れた行ったことのないところ。自分の体調に不安があり少し躊躇したが、これは行かざる得ないと決意した。

イベント前に腹ごしらえをして行こうと思い、吉祥寺のHOME PLANETという昔の 33に形態が少し似たレストラン・バーに向かった。ここは森本晃司さんや33のブログ写真を全て撮影してくれているフォトグラファーの村田圭くんなどが個展を開催するなど、ギャラリー・スペースも併設されている。DJセットもありイベントも行なっている。なかなか若いアーティストやミュージシャン、DJが表現する場所が以前に比べて少なくなって来ているように思える今の吉祥寺の中で貴重な存在だ。いつかここもブログで紹介出来ればと思っている。

11時過ぎに店で食事を頼んで待っていると、見たことのある後ろ姿の男性がテーブル席に独り座っている。 90年代から数々のアンビエントの作品をリリースし、33でも多く扱っていたレーベル“涼音堂本舗”主催の星憲一郎くんだった。久しぶりだったので熱心に近況を話している中で、この後中央線に乗って新宿のイベントに行くことを話した。すると彼はもう上りの終電はギリギリかも!と言った。そうだコロナ警戒自粛期間中で終電時刻が早まっているのをすっかり忘れていた。

ほとんど食事も手を付けないまま、慌てて店を出て駅に向かった。こんな時、足が悪いと非常にもどかしく焦る。

何故か店の支払いを星君が済ませてくれ一緒に駅まで付き添ってくれた。

お陰でなんとか終電に飛び込むことが出来た。だからと言う訳ではないが、いずれ涼音堂の今に至る活動の歴史もブログで紹介出来たらと思う。何でも今は関西方面を中心にイベントをやったり、大手の広告代理店とかとのプロジェクトを昔と変わらずインディペンデントなスタイルでやってるらしい。

とにかくイベント会場に這々の体でたどり着くことが出来た。靖国通りも人影も少なくなった新宿御苑界隈のビルの地下にひっそりとあるイベントの小さな貼り紙のある分厚いドアを開けた。重低音が足下から身体に響き、入口の受付カウンターには“HARD THECNO”とプリントされたT-SHIRTSが平置きで売っている。

暗さに慣れてハコの様子を大体見れる様になると、100人もとても入らない程の小規模なスペースだと分かったが、ほぼ満員に近い人で埋まっていた。もちろん入り口で手の消毒して、マスクは見られる限り皆んなちゃんと着けている。しかし皆一様にDJブース方向に向かい手を上げて熱狂的に踊る盛り上がりにいきなり圧倒された。

何とか人々の隙を探りながらDJブースのエリアにたどり着くと、ようやく久平君に会うことが出来た。でも彼はすぐにプレイの準備に取り掛かるところで、挨拶も早々にDJブースの後ろにあるソファに案内してくれた。

そしてすぐに久平君のプレイが始まった。テクノ・クラシック・セットというだけあって、アナログ12インチ盤をふんだんに詰め込んだDJバックから次々と流れるように繰り出す名曲の数々。まったく懐古趣味的盛り上がりではなく、今の空気感にも絶妙に合っている。

DJ Q’HEY

踊っている客層も僕にも近い年齢層が多いのかと思いきや、圧倒的に20代、30代の若い人たちが多い。久平君の繰り出すKLFやTHE ORBの代表曲で大いに盛り上がっている。久平君の素晴らしいプレイが終わっても、それを引き継ぐ若手のDJ達の繰り出す音もそんなクラシック・テクノの流れを充分に汲みつつ、今のボカロ的なサウンドに取り混ぜて上手く昇華して21世紀のダンス・ミュージックを表現してくれていた。

Hayato Iwaki

還暦も過ぎた僕は一瞬、気がつくと自分だけがあっという間に白髪の老人になり、しかし沸き立つ空間は4半世紀前と変わらない楽園~“竜宮城”に来た浦島太郎ような錯覚を覚えた。20数年という年月をあっという間に瞬間移動して未来に来た感覚。

時代は繰り返すと常々言う。今は昭和という時代が他のあらゆる分野、特にアートやグラフィック、文学、映画など文化の面で周回して、再発見されているのだと改めて思った。それは昔のルネッサンス、ある種の進化した「再生」であり「復興」なのかもしれない。

Hayato Iwaki (左) Carpainter (右)

気がつくと自分のマヒしている足首(ここを上下に動かすのが8年前に脳出血で発症してから最も苦手と言うかかなり痛い!)が小刻みなリズムを刻んで音に自然とついていっていた。普段は立つこと自体痛いのだが、少しの時間だが立って大いに盛り上がっているオーディエンスを見ていた。すると自然と音楽に身を任せて、もう二度と踊れないと思っていたマヒの右手も少しだけど手の動きが出せる様になっていた。もしかして僕にとってはこれが一番のリハビリなのかもしれない(笑)

Seimei(左)Carpainter(右)

その後DJブースの後ろの3人は座れる長いゆったりとしたソファに座って、プレイを聴いていたのだが、私が来る前からそのソファの奥には女性が座っていた。DJの誰かの関係者だろとは思っていたが、とてもこういう音楽のある場所に慣れている感じがして、少しDJ陣やお客さんが20代〜30代が多い様に見えるのに比べて落ち着いて見えた。気になって話しかけてみようかと思ったけど、その場慣れした風情に少し気が引けて、そのまま時は過ぎた。

しばらくして久平君が今日のDJの人たちを紹介してくれた。皆フレンドリーな対応で接してくれた好青年ばかり。イベントの主催者のSEIMEI君のプレイは一番最初で残念ながら間に合わなくて聴くことが出来なかったけど他の3人のプレイは聴くことが出来て、皆んな勢いがあってとても気持ちよく聴き入って、音を感じることが出来た。

そんな中、出演者の1人が挨拶と共に「てっきり僕の母の知り合いだと思っていました!」と言われて一瞬、何の事かわからなくて聞き直したら、このソファの横に座っている女性のことだった。

それで、ようやく彼女と挨拶させて頂き話をお聞きした。何でも今は四国で農業をやっていて、元々は東京の人でこの様なライフスタイルを変えて移住。ただ友人や知り合いは変わらずこちらに多いので、年に3〜4回定期的に来ているとのこと。昔はレインボー2000やRee.Kさんの野外パーティによく家族総出で行っていたそう。そう言えば当時ぐらいからそんなイベント会場に家族連れで子供も一緒になって楽しんでいる人たちが増え始めていたなぁと、ぼんやりと思い出していた。小さい頃からこんな音や空気に馴染んでいる子供達は一体大人になったらどんな大人になるのだろうとも思っていた。

その子供たちが今、大人になりテクノのイベントを開催してDJをしている。

20数年の年月があっという間に過ぎ、この場所のソファで昔と変わらずハードなテクノの爆音を楽しんでいる還暦も過ぎた自分がいる。まあ大変な事も色々あったけど良しとしよう。このイベントの空気感を味わえたのだから。この空気感を何だかんだ言葉で伝える事は難しい。やはり実際の現場で味わうしか無いと思います。

という訳で来月5月25日にこのLOST MEMORIESもフィーチャーした、REBOOTの24周年記念イベントが渋谷のcontactで開催されます。このブログを読んでいる人たちには楽しんで頂けること間違いないと思います。もちろん僕も朝まで踊り明かそうと思っています。

またこのコラムでも少しふれた箇所がいくつかあったけど、私は健常者から突然、障がい者(多くの当事者が言っている様にこの言葉は好きじゃないですね。障害物みたいで所詮お荷物みたいで。まあ災害時とかでは間違いじゃないのだけど)になりました。このことについてのコラムなども始めようと思っています。海外では私たちのような人々のことを「Challenged Person」なんて言い始めているそうです。

「障害者」じゃなくて「挑戦者」。

という訳で、僕も自分の愛おしくこだわりのある場所、ロンドン、マンチェスター、シェフィールド、コペンハーゲン、サンフランシスコ、ハワイをぐるりと周って世話になった人々に挨拶、巡礼の旅をしに行くことを年内か来年あたりを目標にリハビリや計画を立てて挑戦的に過ごしています。

デビット・リンチの名作「ストレイト・ストーリー」の主人公、気どりで!

text by AKIRA ARATAKE

photograph by AKI

organization by Seimei

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